大河ドラマ「西郷どん」 残り3ヶ月を切りました

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西郷隆盛銅像

2016年3月鹿児島で撮影


視聴率は未だにぱっとしないみたいだけど、まぁそれは置いといて…

先週鳥羽伏見の戦いで慶喜が江戸に遁走(とんそう)し、謹慎するところまで放映された。今週はいよいよ勝・西郷会談が江戸の薩摩藩邸で開かれる場面が観られるのかな?

江戸の街を何とか戦争の渦から避けようとする勝のべらんめえ調の必死の訴えが、西郷の心を動かした…これで江戸も救われて、江戸城も無血開城になることだし、めでたしめでたし…

かくして平和のうちに明治維新が始まりました…日本は平和な国家を築きました…


ところが…ところがです…残念なことにそうはならなかった。時代はその後鳥羽・伏見の戦いを始めとして、新政府軍にどうしても恭順できない勢力(旧幕府軍)と新政府軍との間で戊辰戦争が起きる。
桜田門外の変
photo by 桜田門外の変 – Wikipedia

そして明治10年(1877年)に西南戦争が終わるまで、およそ10年間続く近代史上稀に見る血で血を洗う無残な内戦になってしまう。もっと言えば1860年3月24日大老井伊直弼が「桜田門外」で殺されてから、(これをテロとすれば)内戦・テロが約17年間続いたことになる。

しかしこうしてみると、たしかに西郷どんはずっとこの間(1867年〜1877年)渦中の人(歴史の主役)だったということになる。しかも皮肉なことに、鳥羽・伏見や戊辰戦争では新政府軍の現場最高責任者であったのに、(名目上は公家の有栖川宮親王)西南戦争ではその政府軍と敵対する側に回るとは…

もちろんこの間にも色んな出来事があったけど、一番大きな出来事は何と言っても「征韓論」で盟友大久保利通と袂(たもと)を分かつこと。これが原因で、当時陸軍大将として政権の中枢にいた西郷どんは下野してしまうことになってしまう。

時代が違うとは言え、今の政治家にこんな思い切ったことが出来るだろうか?私利私欲のない西郷どんだからこそ出来た。そして大河ドラマでも垣間見ることが出来るけど、元々二人の性格は大きく違う。

西郷どんは人情家で下の人間から慕われるタイプ。慶喜討伐では冷酷な面も見せているが、人徳を大事にする。

かたや大久保利通は冷静・沈着なタイプ。良く言えばクール、悪く言えば冷酷な策略家というのが私のイメージ。

「征韓論」では意見が対峙したけど、それは「岩倉使節団」の一員として、諸外国の発展をつぶさに見てきた大久保と、国内の事情しか知らなかった西郷どんの違いではないかなと…

書いているうちに何が言いたいのか、分からなくなってきた(笑)要するにこれから西南戦争が終わるまで、西郷どんが歴史の主役だったと言いたかった訳です。

まぁ歴史の専門家でもない私がこれ以上とやかく言っても仕方がないので、私なりに後3ヶ月弱このドラマを楽しませてもらおうと思います。一つ不満を言えば、このドラマ時折史実と少し違うところがあるけど、それが少しどうかな?という感はある。

例えば、西郷どんと大久保の実家は隣同士ではないからね(笑)そんな細かいことはどうでも良いか?

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